こころTALKING

元共依存バタードウーマン・DVの最前線現場で妻業18年。現場のキツさにとうとう引退して数年。今はここでしぶとく生きて、忘れられないDVの事を書いてます

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トラウマといっしょに。

来週の、こころのケア講座が「トラウマに対応する方法」なので
ただいま
必死こいて資料を作っております。

今回に限った事ではないんですが
あらためて
色んな事を考えます。

トラウマ
この、目に見えなくて、不可解なモノ。
どこから取り組めばいいのか分からないモノ。
自分のどこからどこまで影響がでているのか、いないのかさえも不可解なモノ。

誰かに殴られたり叩かれて
血が出たりアザが出来れば対処も即できるけれど
心が傷ついた時に血は流れないしね。
(…北斗の拳みたいにブシューッて出たらすごいね

傷つきが深いほどに
なんでもなかったふりをしてやり過ごそうとするしね。
痛みを感じすぎる事から身を守るために
私たちの体や脳は
こんなにも能力を駆使して生命を維持させようとするのだな、と

これは
4年間
自分の症状をどうにかしようとしてきた
私の実感です。

資料を作っていて
「まぁ。私ったらいつの間にこんなにたくさん
トラウマについて分かっていることが増えてたんだなァ~」と思いましたよ。

過酷な出来事、スピード感のある危機に遭遇した時に
私たちは
何かをどこかに置き忘れてやり過ごします。
それは
出来ごとの記憶だったり
どんな風に感じたか?という感情の記憶だったり
身体の感覚だったり

すべてを全部処理できない大きな出来事を乗り切るには
どれかを
感じないようにしたり
切り離したりしなければ
精神状態も生命も維持できないものだからね。

それはクライシスでは生き延びる知恵と工夫でも
安全な場所においては
取りこぼした記憶が出す症状は
息苦しく、生きづらく、
ボタンをかけ違えたままの服をずっと着せられ続けている様な
サイズの合わない靴を履いている様な
自分の身体が血も涙もないロボットになってしまったような
自分の意志が身体に伝わらずに茫然としているしかないような

・・・・はたから見ればただの怠け者にしか見えないような。

まぁ
大抵は理解していただけませんよねェ~

で、黙る。
しかし、黙っているのが一番つらい。
この苦しさを誰かに打ち明けられずにじィ~っと耐えていなければいけないのが

つらい。

つらいもので
つい
ちょっとでもトラウマにひっかかる出来事なんかが起きると
ガーーーーッと喚いちゃったりする。
ドッカ―ンとモノを壊しちゃったりする。
誰かをけちょんけちょんに論破したくなったりする。
本当の対象ではない相手に起こす総攻撃なんだよね。

まだ起きていないことに対して
過剰に防御ネット張って
「もしも?」「もしも?」で未来へのチャレンジを武装防御したりね。



トラウマの傷つきを抱えたまま
安全な場所で生きていくのは
たまに
まれに
その方が戦争だったりするときがあります。

危険な場所にいた時よりもね。


でも
身の安全が保たれていることは
やはりいいものです。
だったら
ここで生きるのがやりやすいように
自分に問合せし続けるしか他にありません。

私、あの時に本当は何が起きていたのか?
私、あの時に本当は何を感じていたのか?
私、あの時に本当はどうしたかったのか?


大変に見えるでしょうか。
かわいそうに見えるでしょうか。
つらそうに見えるでしょうか。

まぁ
そういうときもあります。
けれど、いつもそうではないです。

生きることの最低必須条件が呼吸をすることなら
私にとって
これは呼吸をすることと同じ。
生きているから呼吸している。


来週は
この4年間
どんな風に「呼吸してきたか」
伝えることが出来ればいいなと思っています。

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身体を大事にすること

明日が通信大学の秋試験だというのに
ブログを更新している私でございます
はっはっは・・・・・・ (どうしましょうよ?テスト・・・

実は
月曜日からぎっくり腰になりまして
悲惨な数日を過ごしていました。
今日はなんとか動けましたが
身体を動かせる幸せというものを改めて実感した数日間でした。

別に
何をしたわけでもなかったのです。
重いものを持ったわけでもなし
作業をしたわけでもなし
しいて言えば、疲れがたまった&冷やしたってことでしょうか。

ただですねェ。
私は腰に少々爆弾を抱えておりました。
腰というか臀部というか。

我が家で起きていたDVは身体への直接的な暴力がともなっていましたので
私は否応なしに
ドカーンボコーンが起きるたびに
あらぬ方向にすっ飛ばされたり転がったりをしてきたわけです。
ただし
すっ飛ばされたことで大けがをして病院送りになった経験はありませんし
別居時に総合病院で体中検査をしまして「後遺症なし」の診断を受けております。

あくまで
目に見える後遺症・診断できる後遺症ナシということです。

しかし
別居当時の私は正座できないほどの身体の痛みを抱えていたので
この診断は大いに不満で不安でした。
原因不明と言われたってねぇ。
じゃあ、この痛みの現実はどうすりゃいいんだい?って感じ。
そんな現代医学では解明できなかったことを解決してくれたのは東洋医学で
それ以来、私はそこに定期的に通って身体のケアをし続けています。

そこでは
腰と臀部に今でも残る後遺症が認められています。
「がっつりやられたなァ~」と言われていました。
今回、やっちゃった箇所は以前から指摘されていたとこでありました。

今回のぎっくり腰・・・・まったく関係ないわけではおそらくないんだろうなァーと思うと

病院送りになったわけではない私でさえ
身体にはちゃんと刻印されていることを慮るのですよ。
だったら、病院に入院するほどに、ぼこぼこにされた人は
目に見える怪我が治ったとしても
どれだけの見えない傷を、ずっと抱えて生きているんだろうってね。

後になって
ほんのちょっとしたことで
思わぬ病気を拾うことがあるのですよ。



というわけで
これからも
身体をいたわりつつ仕事をせねばいかんのだなァーと感じた今日このごろでありました。

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