こころTALKING

元共依存バタードウーマン・DVの最前線現場で妻業18年。現場のキツさにとうとう引退して数年。今はここでしぶとく生きて、忘れられないDVの事を書いてます

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告 |

私は私をこんなに知らない

私は「ごく自然に」しているつもりでも
必ずどこかこわばっている場所があって
何かにこだわっていて
どこかがいびつだったり
ゆがんでいたり
ひきつっていたり
上げたままだったり
下げたままだったりする。

心もそうだけれど
身体だってそうだ。
そして、どういうわけか不自然なその「形」に気付かず
「苦しいぞ~」とか言ってたりするんだよね。

「私が私を認識していない」

私のゆがみも、いびつさも、ひきつり加減も知らずに
手は上げたまま、足は引きずったまま
首は曲げたまま、体はよじったままなんだ。
心もね。

それは
ある日、唐突に気付いたりする。
上げていた手に。
疲れていた腕に。
引きずっていた足に。
靴底が擦り切れていることに。
曲がっていた首に。
曲げていたせいで見えていなかったものに。
よじっていた身体に。
無理な体勢でこわばったままだったことに。

手放せばいいだけのことなのに囚われていた思い込みに。

一個一個、ある日気付くんだよね。

あら、なんで手を上げたままだったわけ?
下げたらいいんじゃない?
首、正面を向いてないじゃない?
もっといい方法があったんじゃないの?

私が「これで自然だ」と思って生きている体勢が
周囲からはとても不自然に見えている時がある。
一番、知っているはずの自分のことに
自分こそが気付けていなかったことに

ある日
唐突に
ばかばかしいくらい単純なそのことに気付いて
上げていた腕をおろして
すっかりしびれていた指先をさすってみる。

こんなに冷たいままでいたんだ。私。
なんて笑ってしまう。

けれども、だからと言ってなにもかも自然体になったわけでもなく

私にはまだ
どこかが不自然なところがあって
力の抜きどころを、こうやって
時間をかけて丹念に大切に調べていく。

きっと何もかもから解き放たれることは一生涯ない。
ないからこそ
生きているのが面白く
私を探すのが面白いのだと思う。

囚われて、こだわっている私が。

だって
まだまだ引きずっていたい身体を私は持っている。

スポンサーサイト
未分類 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。