こころTALKING

元共依存バタードウーマン・DVの最前線現場で妻業18年。現場のキツさにとうとう引退して数年。今はここでしぶとく生きて、忘れられないDVの事を書いてます

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否認~ブルーシートの下の見たくないモノ

DVは否認の病いだよなぁ~と私は思っている。
というか
依存症って否認するよね。
アルコール依存症を抱えるご家族がその問題をずっと否認し続けるように。
しかもDVは人間関係性の依存症だから
アルコールのような物質依存じゃないから余計に問題の核が見えにくい。

DVを否認し続けて18年(笑)
否認と言うか認識できていないというか

「DV」という言葉は知っているんだ。
けれど
私にとってその言葉は
すりガラス越しの向こうの部屋のホワイトボードに書かれた文字みたいで
見えているのに
自分のこととして実感がわかない、ただの「単語」でしかなかった。

家を飛び出した前後の私の
自分の被害度認識は、こんなレベルでした。


脱出して
離婚して
けれどもやっぱり認めていない部分があって
ひとつずつ氷解させていくのには「一気に解決」とはいかなかった。
だって
怖いじゃない?
見たくないものはふたをしておきたいじゃない?
ブルーシートにくるんでおきたいじゃない?

自分の生まれ育った家庭にアルコールの問題があったことを
自覚できたのも
離婚したあと自分の問題に向き合いだしてから数年もしてから。
客観的に見たらどう考えたってそうだったのに
アルコールによって経済的に崩壊していなかったために
私は長い事それを自覚しそこねた。
生命に危険がなくとも
生活の中に多くアルコールのスケジュールが組み込まれ侵入していて
自分の意見を言うとか自由にふるまう機会に制限があったことは確かであったのに
私は
私の価値観や物の見方や判断基準に
非言語的に
まるで酒の匂いが染み付くように意思まで冒されていたことにずっと気づけなかった。

その他にもまだまだある。

嫌なこともちょっとあったけど
楽しい大学生活だったじゃないかぁ~と
根拠なく思い込んでいた時期の最初の暗黒な2年間の出来事の重さを
すっからかんに
骨抜きにしか捉えていなかったことに
自助グループに出席して自分で話している真っ最中に気付いて

愕然とした。

なんでこんな重いことを私はすっかり
ないことにしていたんだ?と
自分のことなのに驚いてしまった。

けれど
否認というのは
自分を守ることでもあるからね。

否認が解けるというのは
もう
それを「見ても」「考えても」大丈夫なくらいに
耐える力や
ゆっくり悩める力や
死のうとしない力や
受け止める側の用意が整ったからこそ


シートがめくれて中が見える。



そしてね

「病い」なので
回復する可能性があるわけです。
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