こころTALKING

元共依存バタードウーマン・DVの最前線現場で妻業18年。現場のキツさにとうとう引退して数年。今はここでしぶとく生きて、忘れられないDVの事を書いてます

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流れ続けていく水は

今年は
かなりゆるゆるモードで過ごしております。
ゆるゆる・・・つまりは自然体。

ここ数年
いや、ひょっとしたらもうずっと昔から
色んな課題を否認しまくっていた若い若い頃から
私は常に強くて大きい何かをわざわざ克服することで
生きている実感を手に入れていたように思えます。

私は依存症体質ですが(苦笑)
同時に「切っても切っても自傷が出てくる」
金太郎飴ならぬ自傷太郎飴でして
必ず何かしら自分を傷つけることで
それを担保にしたり
引き換えにしてエネルギー自体を生産して
自分という人間の生産行動を回し続けることに躍起になります。
まるで、傷つくことへの挑戦のために生きている。
自ら傷つく状況に自分を置いて
私はここに生きているんですよと狼煙を上げ
旗を揚げ
看板を掲げてそうして生きてきたわけです。
その看板には「DV被害者」と書いてあったり
「アダルトチルドレン」と書いてあったり
「どうせ私は」と書いてあったり
「食べることと罪悪感」と書いてあったりします。

今年はその見直し期間といいますか・・・

つまりは
もう面倒くさくなっちゃったんです。
余計な労力を割くのが。
ストレートでいいじゃないかと。
シンプルに。単純に。

そんなわけで今年の目標は
「自然な流れにゆだねる」ことです。
自然ですから当然思わぬ変化も起きるわけで
それに対しても
今までとは違う選択をあえてする・という試みをしています。

ゆだねる。
これって意外と大変なのですよ。
特に
気の抜けない空間の中で生きてきていて
その中で常に自分を安全に保つために
場のコントロールに嗜癖してきた者にとっては
変化は災厄に等しい事件であり
変化は恐ろしい事柄が始まる合図であり
ゆえに
危険な場所からもう離れていたとしても
トラウマ反応として
阻止することに全力を注ぎたくなるわけです。

なぜなら
コントロールを手放すことは
それに巻き込まれて自分が傷つき
打ちのめされてやられっぱなしになるのではないかと思うからです。
そこにあるのは大きな恐怖です。
力を失えば
力を発揮できなければ
やりぬかなければ生き抜けないと身構えることが
学習されてきているからです。
コントロールを失うことに怯えるがあまり
無力になることを恐れるがあまり
パワーとコントロールに対してしがみつくという嗜癖行動です。

困ったことに
自分にとって益ある変化であっても
同じように反応してしまうことがあるわけです。
「余計な労力」を使って
自傷金太郎飴をいつまでも「切る」羽目になっていたりします。

私はかつて
ファイティングポーズで対応していたり
忙しく立ち回ったり
何もできないそぶりを決め込んだり
ただじっと、強い感情が渦巻く中をやり過ごすことで
嵐が過ぎ去るのを待っていたわけですから(笑)
それはそれで
その当時は画期的で非常に役に立ったスキルでした。
(そして、もちろん
今でも必要に応じてそのスキルは小出しして使用します)

自分の中にあるモンスター性
コントロール欲求を手放して「ゆだねる」こと
変わりつつある「まっただ中」に自分を「ポン」と置くことは
意外とエネルギーを必要とします。
逆に言えば
エネルギーがキープできていなければ試みることはできないでしょう。
今はそれが楽しく
今まで見たことがない風景が目の前に広がるような
そんな感慨深い思いを味わえたりします。

変化に対して過剰に反応せずに、ただ、ゆだねること。
決してそれは
翻弄される無力な一枚の葉としてではなく

自然な流れに身をゆだねる面白さを味わうこと。

川の流れに流されている木の葉のように
まだ
この『旅』の全行程は見えないのですが 。
胸には
根拠のない自信と安心感を抱きしめています。

不安は「あって当然のもの」
だからこそ
不安も一緒に手をつないで
今年はゆるゆる、川下りです。

そういえば
高校生の頃にこんな詩を書きました。

「流れつづけていく水はいつか大きな海を見る」
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