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こころTALKING

元共依存バタードウーマン・DVの最前線現場で妻業18年。現場のキツさにとうとう引退して数年。今はここでしぶとく生きて、忘れられないDVの事を書いてます

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思い出の品物を失うということ。

自分の「持ち物」をことごとく失くしてしまって
今、困難に直面されているのが
震災やその後の原発事故に遭われた方々だろう。
先日、報道で
「私の大切な思い出の物が全部ながされてしまいました。」と
目をうるませて答辞を読んでいた女の子がいて

私は胸がしぼられる思いをした。


何でこの事を書いたかというと

私自身も
私の生きてきた38年間で手にしていた「物」を
ことごとく失った経験があるからだ。

私は震災に遭遇したわけではないが
私がかつて住んでいた場所から出て
あらたに生活を始めるために

私はすべての物を
あきらめて
置いてこなければならなかった。


卒業アルバム

手紙
年賀状

住所録

子どもの頃に何回も読んだ大好きな絵本
大人になってから手に入れた大好きな本

擦り切れるまで聞いてたカセットテープ
自分でエアチェックしたカセットテープ
古い古い、もう廃番になっているCD

小学6年生からずっと書きためてた自作の詩集
小説
漫画もどき
文芸部だったときの部誌

・・・・・亡くなってしまった友人からの手紙

中学校の頃の
高校生の頃の
大学生の頃の
職場での
友人との・・・・・・「写真」



これを書きだすとキリがない。
38年分の
私を形作るひとつのしるしのような「思い出を具現化」した「物」



私が
4年前に持ち出せた物は
ジャンバーと
身に着けていた眼鏡と
大きな巾着袋と

…まあ、靴は履いてたけど(笑)


本当にそれだけ。



免許証とかさ
そんなものは時間はかかるけど再発行してもらえるもんだけど


今、わたしが安全な場所で生きて居られてるのは幸いなことだけど
もう二度と
手に入れる事が叶わない
再発行する事が不可能な
そんな
日々の些細な「思い出」は失くすと
何千万何億円つみあげたってもう二度と同じ物を手に入れることができない。



そして
形のない物も
失われた物のひとつ。


一生懸命つとめてた仕事
そこで積み上げていた信用や人脈や人間関係

大好きだったお気に入りの店にいけないことや
あそこから見るあの景色は最高だったのにってことや



「顔色をうかがっていつもびくびくしてる生活から
逃げることができたんだからいいでしょ。」って言わないで。
もちろん、それが正解なのだろうけど
それを聞いて受け入れたくない時もある。

たとえ
結果が幸運で今は生きているのだとしても失ったことには変わりはない。


たまに
私は

婚家を最後に出たあの日あのときに戻って
「あそこにあったあのノートだけは持って出なさい」と
4年前の私の耳元で大声で叫びたい衝動に駆られる。



4年前。
私は
自分の命と体だけ持って家を出た。
余計な物を持ち出そうとグズグズしていることはできなかった。
背後に危険が迫っていた。
「なにをしている?」と問われたなら逃避行は失敗どころか一瞬で地獄になるから
躊躇して立ち止まって
何を持って行こうかなんて考える時間はなかった。

命と体。
それだけが
私があのとき、持ち出せた物だった。
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コメント

逃避行という言葉に触発され、コメント書かせていただきます。

程度の差はあると思いますが、私にも逃避行の経験があります。

私の場合は、自分自身ではなく母の逃避行の付き添いでしたが。
でも、逃避行する時のあの切迫した空気は、少しは理解出来ると思います。

DVに分類するには、ちょっと状況は違うものだと思いますが、
「逃げなければ母が父に殺されてしまう」とその頃は本気で感じていました。

真冬の夜中、母と二人で車を走らせながら、
「これからどうなってしまうのだろう」と思っていました。
前も見えないほどの吹雪、アイスバーンの道のりを
目的地まで辿り着けるのだろうかという恐怖と戦いながら。


結果として、私は今こうしてここにいるけど。
あの時あの後失ったものがなくても生きていけるけど。
失ったものは、もう二度と還ってこない。
2011-04-10 Sun 10:29 | URL | R [ 編集 ]
Rさん

逃避行についてのコメント、ありがとうございます。
お母さんと一緒に逃げた、緊張感ただよう空気を感じながら読んでいました。
Rさんは「DVとはちょっと状況は違うもの…」と書かれていましたが
逃避行した時のRさんとお母さんの心を占めていた思いや
苦しさや
差し迫った緊張感は
私にとって
逃避行していた時の情景を思い起こすものでした。

Rさんが今でも「逃避行」という言葉がきっかけで
お母さんの隣に付き添って、車の座席で感じたり見ていた
前も見えない吹雪やアイスバーンの道のりを思い返してしまえるように
私もまた
逃げていた時に見ていた事柄を
昨日見たモノよりも鮮明に思い返すことがあります。

立ちよったコンビニの煌々とした明かりや
窓から見えてた夜景や、山や、潮の匂い、雨の冷たさや
長く伸びていた峠道のカーブや
車中でつぶやいてた私の独り言とか。

私はどこへ向かおうとしているのだろうか・とか
明日、私はこの世界に生きていないのだろうか・とか
私に残された時間はどのくらいあるのだろう・とか…。


切迫している時の記憶は
強く刻み込まれるのでしょうね。
お母さんの身を子どもながらに必死に案じていた気持ち
先の見えない吹雪の真夜中、悪路、車という密室の中で
お母さんと一緒に目的地まで辿り着けるのだろうかという恐怖…



私たちは何を失っても
自分が生きていれば「生きている事」はできる。
…できるのだけれど


失ったものは
二度と還ってこない、というRさんの言葉に、ただ胸が切なくて
共に
悲しみと怒りと
淋しさの気持ちをもって
私も同じ言葉を誰かに向けて言いたくなりました。
・・・言ってもいいかな。



『失ったものがなくても私はここで生きているけど
失ったものは
もう二度と
私の元へは還ってはこない。』
2011-04-10 Sun 23:47 | URL | エリコ [ 編集 ]

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